大阪地方裁判所 昭和57年(わ)1048号 判決
【主文】
被告人を懲役三年六月に処する。
未決勾留日数中九〇日を右刑に算入する。
押収してある四徳ナイフ一本(昭和五七年押三〇九号の1)を没収する。
【理由】
(犯行に至る経緯)
被告人は、昭和五〇年三月、鳥取県下の中学校を卒業後来阪し、木工所に工員として就職したものの、その後転々と職を変え、同五六年三月から大阪府東大阪市所在の岩井金属工業株式会社でプレス工として稼働し、同社の寮に寄宿しているものであるが、この間一時勤務していた関西スチールネットにおいて作業中、左手を機械に巻き込まれて負傷し、月平均約五万円の労災年金の支給を受けることもあつて自ら好んで飲酒するようになつた。
同五七年二月一九日勤務を終えた被告人は、午後九時ころ、現金約一万六、〇〇〇円を所持して前記寮を出て遊興・飲食した後映画でも見ながら眠ろうと考え、午後一一時三〇分ころ、深夜興行の映画館へ入つて一夜を過し、翌二〇日及び二一日は会社が連休であつたため、昼間は地下鉄電車内で時間をつぶし、パチンコをしたり国鉄新大阪駅構内の待合室でテレビや雑誌を見たりした後、酒屋等で飲食し、夜は深夜興行の映画館で映画を見ながら眠るという生活を送つた。二二日も前二日と同様、早朝映画館を出たが、仕事に嫌気がさして会社を無断欠勤しようと考え、日本酒ワンカップ一本を飲んで地下鉄電車内や国鉄新大阪駅構内の待合室でテレビを見る等して時を過し、昼ころ食事をしようとしたところ、所持金のほとんどを入れていた財布を紛失していることに気づいて付近を探したが見つからず、寮へ帰る電車賃もなくなつたため、自動販売機の釣銭口に放置してある釣銭を拾得しようと考え、同駅付近の自動販売機を探しながら俳徊するうち、大阪市淀川区宮原二丁目五番二〇号所在の中華料理店「ちゆー」前路上にさしかかつた際、前日の夕食以後食事を取つていなかつたため空腹に耐えきれず、同店で飲食した後店員のすきを見て逃走しようと決意して同日午後七時三〇分ころ同店に入り、代金合計四、〇五〇円相当のビール、日本酒、から揚げ等を注文して飲食したが、その後同店内で寝込んでしまつた。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五七年二月二二日午後一一時三〇分ころ、前記中華料理店「ちゆー」において、同店経営者岩瀬武比古(当時三六才)の妻岩瀬美愛子(当時三一才)から眠つているところを起こされて飲食代金合計四、〇五〇円を請求されるや、同人らのすきを見て逃走しようとその機会を窺つていたがかなわず、却つて右武比古が同店の表に立つて閉店の準備をしているのを見て、同人が被告人の逃走の意図を察知して見張りをしているものと誤信し、この際右両名に対し所携のナイフで暴行脅迫を加えて逃走して飲食代金の支払を免れようと決意し、同日午後一一時五〇分ころ、同店内において、路上で拾得した四徳ナイフ(昭和五七年押三〇九号の、刃体の長さ約7.2センチメートル)をジャンパーの右ポケットから取り出して右手に持ち、右腰付近に構えて右美愛子に近づいたところ、同人が悲鳴をあげたため、左手で同人の頭髪をつかんで椅子に押えつけたが、同人の悲鳴を聞いた右武比古から背後より首付近をシャッター用アルミ棒で殴打されるや、やにわに、前記ナイフで同人の顔面及び腹部めがけて振り回して切りつけ、更に、被告人をとり押えようとした右美愛子の顔面めがけて一、二回切りつける暴行を加えて右両名の反抗を抑圧して逃走し、もつて前記飲食代金合計四、〇五〇円の支払を免れ、同金額相当の財産上不法の利益を得たが、その際、右の暴行により、右武比古に対し加療約一週間を要する左側頭部及び上腹部各切創、右美愛子に対し加療約一〇日間を要する左側頭部切創の各傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示被害者両名に対する強盗致傷の各所為はいずれも刑法二四〇条前段に該当するところ、いずれも所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い岩瀬美愛子に対する強盗致傷罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、なお後記犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中九〇日を右の刑に算入することとし、押収してある四徳ナイフ一本(昭和五七年押三〇九号の1)は、判示犯行の用に供したもので被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、本件被告人の罪責について、被告人は無銭飲食の意思で店内に入り酒食を注文、飲食を注文、飲食しているのであるから、この段階で刑法二四六条一項の詐欺罪の既遂が成立し、これにより飲食代金四、〇五〇円についての法益侵害は詐欺罪として評価し尽くされたのであつて、このうえ代金支払を免れるための暴行行為を同法二三六条二項の強盗罪に問擬することは、右飲食代金についての法益を二重に評価する結果となるから許されず、また、窃盗の後財物の取還を防ぐ目的で暴行脅迫を加えた場合について刑法が特に事後強盗罪の規定を設け強盗の罪責をもつて論ずることとしている趣旨に徴すると、そのような特別規定を欠く本件のような場合に、代金請求権を独立の保護法益とすることによりいわゆる二項強盗罪として問擬することは罪刑法定主義に反するものであつて、結局被告人については強盗致傷罪は成立せず、単に詐欺罪と傷害罪が成立するにすぎない旨主張するので、この点につき判断する。
ところで、飲食店において酒食を注文、飲食した場合には、それが無銭飲食の意思によつて行われたものであると否とを問わず、これに相当する代金請求権が発生することは明らかである。たとえ無銭飲食の意思をもつて酒食を提供させたことによりいわゆる一項詐欺罪が成立する場合であつても、被告人はその飲食代金の支払義務を免れるものではない。そして、一般に暴行脅迫によつて飲食代金の支払を免れること自体は二項強盗罪にいう「財産上不法の利益」にあたることを考えると、飲食物の提供とその代金請求権とは経済的には一個のものと観念されるにもかかわらず、刑法上の評価の問題としては、飲食物の提供を受けることとその代金支払を免れることとは別個の利益とみるのが相当であり、代金請求権が飲食物そのものとは切り離されて別個に侵害の客体となりうるものと考える。したがつて、欺罔の手段を用いて飲食物を提供させる行為と暴行脅迫によつてその代金支払を免れる行為とはそれぞれ別個独立の法益侵害行為とみるべきであるから、飲食物に対する詐欺罪が成立することはその後の二項強盗罪の成立を何ら妨げるものではないというべきである。飲食物に対する詐欺罪が成立する以上代金請求権に対する二項強盗罪の成立する余地はないとする見解によれば、当初無銭飲食の意思を有していなかった場合には、飲食後暴行脅迫を加えて代金支払を免れれば二項強盗罪が成立するのに対し、当初から無銭飲食の意思を有していた場合には、飲食後暴行脅迫を加えて代金支払を免れても二項強盗罪は成立せず、単に詐欺罪と暴行罪等が成立するにすぎないという不均衡を生ずることからみても、右の見解は妥当でない。
また、弁護人は、事後強盗罪の規定との対比を主張するが、同罪は、窃盗犯人が窃盗の現場又はこれと時間的・場所的に近接した範囲内で、「逮捕を免れるため」又は「罪跡を湮滅するため」のほか「財物の取還を防ぐため」に暴行脅迫に及ぶことが社会的にしばしばみられる行為形態であり、その態様において強盗罪と同視するに足りる実質的違法性を有する点に着目して、右各所定の目的をもつて暴行脅迫をする行為を類型化し、すべて独立の強盗罪として取扱う趣旨で設けられたものであつて、財物の取還を防ぐ目的による暴行脅迫行為の中に理論的にみて本来二項強盗罪に該当する場合があることを否定するものではない。すなわち、財物窃取後その取還を防ぐ目的で暴行脅迫をする行為の中には、当該財物に対する返還請求権の行使を事実上断念させるものとして本来(事後強盗罪の規定がなければ)二項強盗罪に該当する余地の考えられる場合があるほか、右の請求権を有しない者に対して取還を防ぐ目的で暴行脅迫をした場合のようにそもそも二項強盗罪の成立の余地がない場合も含まれている。これは、事後強盗罪の規定が所定の目的をもつて暴行脅迫を行なうという行為自体に着目して設けられたものであるからにほかならないのであつて、右規定が存することによつて二項強盗罪にいう「財産上不法の利益」の解釈は何ら変わるものではない。そうだとすると、飲食代金の支払を免れた本件被告人の行為が既に述べたように二項強盗罪にいう「財産上不法の利益」にあたる以上、何ら罪刑法定主義に反するところはない。
結局、本件被告人の罪責については二項強盗罪をもつて論ずるのが相当であり、弁護人の所論は理由がないから、これを採用しない。
(量刑の事情)
本件は、判示のとおり、所持金を紛失し、空腹に耐えきれなくなつた被告人が、たまたま通りかかつた中華料理店に入り飲食した後、すきを見て逃走しようと窺つていたがその機会を失い、所携のナイフで被害者両名に切りつけ、両名に傷害を負わせて逃走した事犯であるが、被告人の行為は、刃体の長さ約7.2センチメートルのナイフを用いて、被害者両名に対し振り回すようにして切りつけたもので犯行態様は極めて危険な行為であり、また、被害者両名の傷害部位が側頭部或いは上腹部と身体の中枢部分であることを考えると、場合によつては重大な結果が生ずるおそれも存したのであつて、これらに徴すると本件犯情は悪質であるといわなければならない。しかも、二月一九日夜以来犯行当日の同月二二日までの被告人の行動は、判示のように怠惰そのものであるばかりでなく、財布の紛失に気づいてから被告人の対処のしかたも場当り的で思慮に欠けるものといわざるを得ず、このような被告人の態度が結果的に本件犯行をひき起したといつても過言ではなくその刑責は重いといわなければならない。
しかしながら、幸いに被害者両名の傷害は比較的軽度であるとともに被害金額も少額にとどまつていること、犯行が偶発的であり、本件犯行に使用した凶器も二、三日前たまたま拾得したものであること、動機においても同情の余地がないではないこと、本件の飲食代金のほか治療費の弁償及び慰謝料の大部分の支払がなされて被害者両名との間に示談が成立し、残金も後日支払う旨誓約していること、前科がなく、改悛の情も認められること、若年であることなど被告人に有利な諸事情もあるので、これらを考慮して酌量減軽をしたうえ、主文のとおり量刑した。
よつて主文のとおり判決する。
(重富純和 山本慎太郎 石井寛明)